皆さん、おはようございます。
水曜担当のしろくまです。
今年最後の記事になります。
今年は特にマスコミ、メディアの元ジャニーズ事務所潰しの報道など、大企業が一斉にタレントたちの契約を解除し、日本の音楽、エンタメをキャンセルカルチャーしました。
このキャンセルカルチャーは戦後に、マスコミ、メディアが戦争画を描いた一人の画家を「戦犯画家」とバッシングし、日本から追放した事と重なって見えました。
昔からマスコミ、メディアは何も変わっていません。
その画家は藤田嗣治(1886-1968)日本人で唯一パリの画壇で名声を博し、墨と日本の毛筆を使用し油絵に新たな画法で描きました。
自画像1929年 藤田嗣治
1938年に日本の軍部から「絵筆で戦時貢献すべし」と協力要請に従って従軍画家として参加し数々の戦争画を制作しました。昭和18年、戦局はガタルカナル島の撤退、真珠湾攻撃の立役者・山本五十六長官の戦死、アッツ島守備隊が全滅という報道がされていた頃、制作に没頭し戦争画を超える渾身の傑作「アッツ島玉砕」が完成しました。
その作品について藤田は、
「一人の老婆にも一人の赤ん坊にもこの画がわかってくれてお父さんか息子か兄さんの姿だとこの画の中の人物を見て貰えばいいのです。」
作品が公開された時、作品の前には賽銭箱が置かれて人々は手を合わせていました。絵を見ようと多くの人が押し寄せ長蛇の列ができたそうです。多くの国民の心を掴み、藤田は日本の美術界で頂点に達しました。
戦争が終わり、一変して戦争画を描いていた画家達や関係していた者達が排除され、戦争画を描かなかった画家達が評価され、東京美術学校でも大規模な人事異動が行われ、戦争画に関っていた者は追い出されました。戦争画を描いていた画家達を讃えていたマスコミは一斉に批判し手のひら返し、ここで戦争画の歴史は消滅し戦後に大きな空白ができました。この状況は今と何ら変わりません。
マスコミ、メディアは決して反省や責任など取っていません。何度も同じことを繰り返さないよう、これからは誰もが個の意思を持つジャーナリストになる時です。
そして来年は、初の広島開催が決定したことは何かの縁を感じます。
絵は目の前で直接観ることで伝わってくるものがあります。多くの絵を観て欲しいです。それと同じく、来年はゴー宣DOJOに直接、会場に来られてLIVEを楽しんで下さい!
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
【トッキーコメント】
今では藤田嗣治の回顧展も相次いで行われ、一見「名誉回復」したかのように思えるけれども、戦争画に対する評価や、戦後に日本人が藤田に行った仕打ちをスルーした状態での再評価では、単にまた「手のひら返し」をしただけのようで、なんとも苦々しい感覚を覚えてしまいます。
来年は、真実を求めるジャーナリズムの目で、ニヒリズムを超える年にしていきましょう!